一定のスパンをおいて、アクセスがあるのが、親指シフトに関して新年の誓いを書いたページである。
何のことはない、筆が滑って、読みにくくならないように、意識すると誓った程度なのだ。だが、実際それがいくらか克服されたかというと、そうでもない。
そればかりか深夜に更新しようとして、眠さのために急いで、話題を粗雑に扱ってしまうことがある。
先日も古紙の再生パルプ比率偽装に関して、書いている時に、ユーザーの欺瞞性として環境に配慮したと漠然としたイメージだけで先行しているケナフを比喩に用いようと企んでいた。
ところが集中力が落ちていたのだろう。アップロードしても気付かず、数日おいてメモを見つけて、自身にがっかりするという始末。
実際、親指シフトは非常に便利である。
ローマ字入力であれ、かな打ちであれ、乗り換えた人は申し合わせたように、その利便性の高さを評価するのではないか。
実際、仕事でも、使用でも手書きをあまりしなくなった。(以前、書いたかもしれないが)手書きだと、少なくとも「手」という文字を表記するのに、四画記入する必要がある。つまり四回紙とペン先をつけたり放したりしないといけないのだ。
ところが親指シフトはそうならない。
左中指で一回押し、変換キーを押すだけでいいのだ。(その後、出力の手間は当然残るのだが)
実際、親指シフトキーボードを修得してしまうと、手書きよりもはるかに早く、テキストデータが作れてしまう。
プロの著述家の多くが使用しているという事実は、余り知られていないが、使用してみると実感できるはずだ。
ただ偏見と狭量な感性の持ち主が、親指シフトの不便さを言い募り、かれこれ二十年前から親指シフト・ユーザーの絶滅の危機を唱えてきたが、ただのヨタである。
実際にはw-zero3esや、e-mobileといった、最近の端末に外付けキーボードで親指シフト環境を整えようという、涙ぐましい努力すら行われている。
圧倒的大多数になることはないだろうが、それを根拠に絶滅だというのはいささか論理が逆転していないだろうか。
それではまるで、マック・ユーザーが地球上からいなくなるといっている、ビル信者のような物言いではないか。
言い過ぎかもしれない。撤回する。
だが、いずれにしても、親指シフトは日本語を使用することを最も簡単にしてくれた方法である。何しろ、ローマ字に変換しなくていいのだ。直感的に使えるのだ。
それゆえ、うっかり言葉足らずになってしまったり、話が上滑りしてしまうかもしれない。
以前からの課題は結局、課題を増殖させて再浮上している。
当ブログでの課題は、親指シフト環境に全面的に依存している。だからこそ、簡単に話が脱線したり、話漏れが発生する。
今年の親指シフト・ユーザーとしての抱負。
ちゃんとメモを整理して、テキストを作成する。テキスト作成が簡単だからこそ、生じる矛盾的な課題である。
2008年02月22日
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