2011年06月09日

クーデターを警戒せよ

 やっぱり何かアタマ来たので更新。

 一体、何が起こっているのだ。

 我々と同じ日本語を話し、同じく景気の悪いことをぼやき、同じところへ納税していた人たちが、たくさん死んだ。

 悪いことをしていた連中もいただろうが、悪いことすらできない子供たちもいた。

 東北で、山陸部ではなく、どっちかというと海岸部に住宅があったという理由で死んでいったのである。不条理極まりないが、天災である。

 決してノアだけえこ贔屓するような、彼の仕業ではない。

 信仰も、品行も関係なく、地べたが揺れたせいで、海水が津波になって、襲ってきたのだ。

 天罰だとか何とかと、信仰もなく口にした薄ら馬鹿が東京都にいたらしいが、そいつの頭上に早晩、天罰が下らないか、むしろ心配である。中身が足りない頭にこそ、天罰は落ちやすいのではないか。

 ポルノ小説を書いていた、薄ら馬鹿など、どうでもいい。

 彼の作品が話題になっていた時代に生まれなかった幸福。まあいいや。

 それよりも問題は、議会制民主主義である。

「復興にめどがつくまで、責任を果たし、そのあとで若い人たちに責任を引き継いでもらいたい」

 管直人はそう言った。肉声の映像を公共の電波で受信した。確かに、めどがつくまで、といっていた。

 つまり復興の見通しがつくまで、総理の席を立ったりしませんということなのだ。総理やめよっかなぁ。あ、辞めます。安部とか、福田とか、バイト君総理がいたが、我らが直人は彼らより、責任感があるようだ。

 この茶番劇の中心人物を気取って、コマネチしてた小沢とか、鳩山など、雑魚はどうでもいい。

 マスコミである。

「管総理の辞意表明を受けて」

 翌日のニュースはそう言った。思わず、口に出して画面に言っていた。マジで?

 ところが違った。直人の発言をどう聞いたのか、若い人に責任を果たしてもらいたい、という一言だけをもって、辞意表明だと騒いでいるのだ。

 本気か? というか素面か?

 めどがつくまで頑張り、そのあとは後進に任せます。これが辞意表明に聞こえたというのなら、もう少し作文の勉強が必要ではないだろうか。

 私は寿命が尽きたら死にます。そう言ったら、自殺予告に聞こえるだろうか。

 まさか言葉尻をとらえて、管を辞任に追い込み、それで鬼の首をとったと思っているとしたら、悪趣味窮まりない。スケープゴートというやつではないのか。我々の社会はそんなに単純だったのか?

 諸悪の根源は、リーダーシップの不在や、旧態依然とした官僚たちなのか。とんちんかんな屁理屈で、まともに議論を許さず、混ぜっ返して、幼稚な正義感を気取る、マスコミなのではないか。

 我が国に原爆が二回も落とされた。その上に、この津波である。そういってもいいくらいの国難なのではないか。

 その復興が急務である時期に、総理の不信任決議案である。

 マスコミが誰も言わないから、いってやろう。火事場泥棒もはなはだしいと。ナメてんのか。議事堂お昼寝倶楽部の連中は、直人を名指しで批判しているが、それがスケープゴートでないと、まさか本気で言っているんじゃないよな?

 具体的に復興が進んでいない。だから、管直人はだめなんだ。

 そういうが、それでは民主主義として、議論しているのか? 直人にはひねり出せなかった、復興のアイデアを一度でも、国会で議論したのか?

 待て待て。議会制民主主義ってのは、国民の代表が理性的に、合理的な計画を議論して、国家を運営していくというシステムだったんじゃないのか?

 議論せず、野次を飛ばすのが、仕事だとしたら、お昼寝倶楽部である。

 具体的に解決していないのは、お前らのせいなんじゃないの? 今までも色んな問題を、議論するとかいいながら、先延ばしにしてきた連中が、この緊急時に本当に我々や、東北の隣人を助けられるのか?

 管を批判する意見はあるが、具体的に復旧プランを提示したのはどこだ? 我々と隣人をちょっと水にひたらない場所へ案内しようとしてくれた議員が一人でもいるのか?

 連中は議事堂で昼寝して、合間に直人の野次を飛ばしているだけではないか。それがこの茶番劇の本質なのではないか。

 ブッシュのカタリーナ台風被災地救済より、直人ははるかに仕事をしているのではないか?

 率直にいって、国家的な危機に対して、国会との温度差が寒々しい。

 誰が首相であれ、団結・協力して、この危機を早急に回避すべきであるし、東京電力の伝言ゲームをいい加減中断しないといけないのではないか。

 広島・長崎での歴史以外に、被爆なんて言葉は使われるべきではなかったんじゃないか。このことだけをとっても、我々の感覚はもう、麻痺しているじゃないか。

 百人の寝ぼけ議員が知恵すら出し合わず、ジャンケンなみの茶地い権力争いをしている。

 管の不信任案は否決された。それは管にとって良かったかどうかなど、どうでもいい。問題は被災地にとってどうであったか。

 否決されたか、可決されたかを問題にすること自体が、とっくに無駄ではなかったか。

 議事堂内で、薄ら馬鹿どもが、ジャンケン大会している間に、被災地の体育館で老婆が、子供が、昨日より咳こんでいるのだとしたら、我々は何をしていたというのだ。

 議会制民主主義とやらが、その程度の茶番であるとしたら、本当にこの危機に対応できるシステムなのだろうか。

 協力なリーダーシップといいながら、一方で十分な議論という。リーダーを求めて、リーダーを認めない。明らかに破たんした論理ではないか。

 そんなことにもじもじしている間に、被災者の生活費は底をついているのだ。我々の物資が停留しているとしたら?

 何が問題なのかも整理されていない、散らかったテーブルを片づけるのが先ではないか。誰が命令するかを決めている場合なんだろうか。

 ふと思う。葉巻をくわえて、難しい顔をしている「悪の共産国家」の、あのフィデロ。

 彼はリーダーなのか? 旧政権を倒して、福利厚生の充実した国家システムを作ったんだと?

 独裁者ってのは、労働服を着て、喜び組のケツをかぶりつきで眺める天然パーマしかいない、というイメージは、ひょっとして単なるイメージ操作なのではないか。

 ほかにも独裁者はいるが、決断力があって、国民生活を向上させる独裁者なんて、地球上に存在しないことになっているが、本当なんだろうか。

 何か、それこそ、議会制民主主義の側のイメージ操作なのではないか。

 いや。いやいや。

 そんなことを渇望してはならない。我々はあくまで薄っぺらい投票用紙に、土曜日の夜まで連呼されていた、誰かの名前を、体育館で手書きするのだ。

 それによって、単に議事堂お昼寝倶楽部のメンバーが決定しているのか、ちゃんと被災地が救われているのか、しっかりと見張らないといけないのだ。

 クーデターや革命など、物騒なことをこのうえ、夢想してはならない。

 少なくとも、お昼寝倶楽部の連中より、我々の方が東北の被災地の復興を切実に願っている。
posted by 天狗丸 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

他人の不幸はビター味

 阪神淡路大震災のときのこと。

 被災した現場に民家が多く、多くの家屋が倒壊した。半壊したり家屋や、撤去作業対象の防塵に、ブルーシートが多用された。
 
 それをテレビ報道で見た、薄ら馬鹿が建築資材を購入する立場を利用して、大量にブルーシートを買い占めた。
 
 その翌日。
 
 政府は大量のブルーシートの無料支給を開始した。わお、トンちゃんに値段を吊り上げる話をしていなかったのだ。
 
 買い占めたブルーシートがどうなったのか、その男はブルーシートをどうしたのか。一切は不明である。
 
 被災地にトラックで来て、大根を一万円で販売したという目撃情報は確かにあった。
 
 皮肉にも携帯電話の契約者数が、急上昇したのも、この震災が契機であった。
 
 だが、忘れられない光景がある。震災一週間頃、西宮北口の出口近くで、関西セルラーが会議机を置き、新規利用者申し込みの受付をしていた。

 商魂たくましいといえば、たくましいが、何となく卑しいような気がした。案の定、受付のお姉さんは退屈そうにしていた。そういや、関西セルラーって、あの後、どうなったんだ?
 
 今回の震災後、googleがすぐに安否情報検索ページを立ち上げた。数日後にはソフトバンクが無料でwifiスポットや端末の提供を名乗りあげた。ユニクロが物資の提供を申し出た。
 
 前時代の共産主義かぶれたちは、企業を悪人扱いしたがる。しかし、それは「被災ニュースばっかりで、テレビに飽きました。そんなあなたにお薦め」という、ドン引きキャッチを打ち出したツタヤぐらいじゃないだろうか。
 
 それ以外は非常に神経質に、支援を名乗り上げている。ユーザーに好感を持って迎え入れられているのではないか。それが欲得ずくの計算であったとしても、被災者が救われるなら、万々歳ではないか。
 
 つまり企業が巨額の資金を投じて、利益を貪り、消費者を食い物にするという世界は、とっくに終わっていたのではないか。
 
 それより企業は多くのユーザーのご機嫌をとりながら、好印象を持たれることに、結構頭を悩ましているのではないか。最終的に金儲けなら、人助けもいとわないという結論にいたったのではないか。
 
 買い占めて暴利を貪ろうというのは、いささか前時代の貧乏臭い発想のような気がする。一万円の大根が売れたかどうか分からないが、人の不幸を踏み台にしようとしたところで、早晩足をすくわれたことであろう。
 
 企業にとって、今やブランドイメージは死活問題である。一連のごたごたのなかで、ツタヤのキャッチは早晩忘れられるだろうが。
 
 それでも買い占めたり、値段を吊り上げるよりも、無償で提供して、それを報道してもらう方が宣伝になるのではないか。
 
 我々ユーザーも素直に受け取っていいのではないか。個人ができるよりも、はるかに巨額の支援を企業は被災者に行ってくれているのだ。
 
 もう一枚、ヒートテックのシャツを買ってやろうじゃないか。白いワンちゃんの携帯に乗り換えることも考えていいじゃないか。
 
 Good job、ユニクロ。Good job、ソフトバンク。思ってたより、いい奴だったな。ちょっと誤解してて御免。もうちょっと買うから、今度俺が被災した時は頼むわ。
 
 そんな気分である。
 
 ブルーシートを買い貯めたような輩。大根を一万円で売った馬鹿。笑わせてくれるな、だ。発想自体が貧乏くさ!
 
 他人の不幸は、今やビターなんじゃないのか。噴煙の混じった、結構強めの。
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2011年03月11日

Don't be evil

グーグルは宮城県沖大地震発生から3時間後に、個人の消息が検索できるサービスを無償で提供し始めた。

しかも情報はgoogleが悪用しないと名言。

彼らの本社にはこんなフレーズが掲げられているという。

「Don't be evil」

何より、イメージダウンがブランドを傷つけ、致命傷にいたることを彼らは自覚しているのかもしれない。

本朝において、発生から15分後に、ドワンゴの社員がサーバールームで重症を負ったとtwitterでつぶやき、救急車が出動する騒ぎになったそうだ。

かたや世界的な検索サービス(そんなレベルとっくに超えたか?)最大手。かたや、携帯で音楽を配信する会社。ふぅん。

民主化の大規模デモを呼びかけたり、個人の安否情報を提供したり、電話回線より早く、確実に避難場所を共有したり、色んなことができるのがwebなのに。東国原元宮崎県知事のように、重要情報を絶えず中継する人もいるというのに。

使う人間の品性でかくまで、異なるのだ。がっかりするぐらい、分かりやすい。
posted by 天狗丸 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

新聞の裏と表

 新聞は定期購読していない。色々理由はあるが、結局は一つ。
 
 ユゴーが「新聞さえなければ、フランス革命は起こらなかっただろう」といったが、情報価値のことを指しているのであって、紙媒体を指しているのではないからだ。
 
 紙が沢山配られたから、市民革命が成功したのではない。紙に情報が印刷され安価に配布されたからだ。
 
 ということは、紙を沢山消費することに、意味はない。ましてや現在のように、温暖化やオゾン層破壊など、二酸化炭素は地球史上比類無き量で増えている。樹を切り倒して、紙にするのも減らしていくべきではないか。
 
 それだけではない。
 
 新聞報道の表裏である。左より系列の新聞は、子供手当や、ワーキング・プアの問題を糾弾している。ところがその当人自身が、人材派遣を使ったり、人材紹介を行って、人件費を落としていることを糾弾された。
 
 あんまりすると、お互い傷つけあうことになるためか、新聞社はすぐに、その話題を取り上げなくなった。何だよ、お互い傷つけ合いたくないんじゃないか。産経も、朝日も実は手を取り合い、深く愛し合った恋人同士みたいじゃないか。
 
 ゲロ吐きそうなメロドラマ並みである。世間知らずの偽悪者と偽善者なら、お似合いじゃないか。
 
 新聞社の奨学金制度について知った。自分で新聞配達をして、学費を稼ぎながら、学業にいそしむというのだ。苦学という言葉が似合う。未来への希望に燃えた若者を支援する、理想的なシステムではないか。
 
 はい、ハズレ。
 
 朝は午前二時起床で、裏紙にしか使用されないような織り込みチラシを仕込み、二時間半から三時間かけて配達。夕方も同じだけ働く。食事は寮のまかない。その分は天引き。メニューについて文句はいわない。というか、借金してるんだから、滅私奉公だろうが。
 
 週末はまかないが休みだから、食事が腐ってても自己責任な。あと、正月は二日も休んだんだから、ずっと配達しろよな。風邪ひいたとしても、おめでとう。寮だからいつでも起こしてやるぜ。
 
 就職活動? いや、夕刊間に合わんでしょうが。お前が就職しようが、どうしようが、自己責任だけど、夕刊は購読者の皆さんに、ちゃん配れよな。
 
 そう、陸の蟹工船なのだ。その生活環境の悪さや、欺瞞性は新聞では絶対報道されることはない。足抜けをしようものなら、三十万円を即金で支払わないといけない。そもそもそんな金が払えるなら、最初から奨学金など充てにしないじゃないか。
 
 今朝も、夕方も、世間知らずの若者が、寝不足で朦朧としながら、配達している。そしてメディアはいう。彼らの自己責任だと。
 
 自己責任とかいいながら、一切情報は提供しない。それを無責任とは誰もいわない。行政もメディアも、高齢者も、世間知らずの若者の労働力に全面依存なのだ。ぼったくり放題だからだ。
 
 新聞社はできもしないことを訴え、それができない政権を批判しているが、自社でできることは絶対しない。奨学金対象者の待遇改善だとか、派遣社員ではなく、自社の正社員積極的採用だとか。だって世界経済がアレじゃない? だ。
 
 そんな奴らがいう。元気な日本はどうやったら、取り戻せるのか。
 
 はっきりいってやる。寄生虫のいない、労働にも商品にもフェア・トレードな社会こそが、健全で元気な社会である。それができないなら、御託並べず、黙ってろ寄生虫め、だ。
 
 若者がパラサイトしているというニュアンスで、報道されがちだが、新聞社の奨学金制度事態が報道されていないことからも分かるように、大手こそパラサイトである。メディアのいう社会正義など、最初から歪曲されたものなんだ。
 
 連中の本音は一つ。ああ、早く若い女性か、可哀想な老人が殺されてくれないかなぁ。それも残忍な方法で、だ。
 
 何? 新聞の勧誘? 勘弁してくれ。フラストレーションを発散させる、個人的なブログを書くのに忙しくて、新聞なんて読んでるヒマない。年季奉公を強いられている若者を四つん這いにさせて、レッグチェアにするなんて、どうかしてるぞ。確か我が国の歴史に奴隷制はなかったはずだ。今までは。
 
 俺は金持ちではないが、少なくとも、若者の労働力にそこまで依存するほど、貧乏人ではないし、そうはなりたくないと思っているだけだ。
 
 新聞やテレビでは報道しない事実。氷山の一角だけど、連中が充てにならない証拠でもある。
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2010年08月23日

政局離れ

 特に若者の政治離れは進んでいるのだとか。
 
 そりゃそうだろう。自民党を飛び出して、自由党を立てた男が民主党に入って、そこの幹事長をやって、今度代表戦に出るかどうか。そんなに魅力ある話題だと思うか?
 
 政治の話をしているようで、格好つけているが、そこで話し合われているほとんどは、政局と呼ばれる痴話喧嘩である。
 
 かつて小泉政権当時、政治をワイドショーに仕立て上げた、ワイドショー内閣だと批判された。
 
 その当時から思っていたこと。そうか? だ。
 
 メディアは前回の選挙からどの程度、公約が果たされたかを検証し、自民党や民主党のそれぞれの政策について、比較検討してきたか。まさか?
 
 山積する課題のなかで、緊急の問題が何かを精査した資料をメディアは提供してきたか? まさか。
 
 その時々の政局を、はやし立てて、芸能人の下半身事情なみに憶測をシャウトしてきただけではないのか。それでメディアは政治を語ってきたつもりだというのか。
 
 まあ、水でも飲んで、一休みしろや。まあ、頭冷やせ。
 
 若者が政治離れをしている。社会問題に無関心だといいたいのだろうが、本当か?
 
 今の民主党総裁が鳩山か、管か、その次に小沢か、樽床か、そんなに気にしないといけないのか。鳩山のパーティーに誰がきて、誰がどんな発言をしたか。
 
 AKB48のライブイベントで、どんなサプライズ・ゲストが登場したか。どんなどっきり発言があったか。
 
 知らないでも生活に支障をきたさないという点において、同じではないのか。一方は背広を着たむさい親父。一方は制服を着たウザいテンションのガキ。わお。道理で政局に興味持てないハズだわ。
 
 政治には興味がある有権者は多いだろう。我々と、我々の隣人が幸せである社会とは何か。メディアがあおるほど、我々は消費税に反対していない。社会福祉として必要であると説明されるなら、結構な割合でウェルカムなのだ。それだけ冷静で、理性的な国民なのである。
 
 それなのに、メディアはいう。ジャニーズ応援するみたいに、団扇もって並べ。小沢一郎か管直人って書いている、どっちかをステージに向けて触れ。黄色い歓声を上げろ。何だと? お前、有権者なのに政局に関心持たないのか。そんなことが許されるとでも思っているのか、非国民め。小沢君や管君が傷ついたら、どうしてくれるんだよ。
 
 おいおい、素面でそんな話題をしろっていうのか。
 
 深夜のファミレスで、モー娘のメンバーについて、魅力を語る若者を見たことがあるが、あのテンションと政局は同じなのだ。それと政治を同じなのか。だとしたら、語るほどのか。そもそもそれが議会制民主主義なのか。だったら、そろそろオッキしようか。寝ぼけるな、だ。
 
 ところで近所で児童が深夜に泣いていないか。虐待されているか、シングル・マザーが四つ目の深夜のパートにいく前に、いつもの睡眠薬をうっかり飲ませ忘れたかだ。
 
 鳩山のパーティーで乾杯していた連中よりは、我々は少々寝苦しい。多分、原因は熱帯夜だけではないんじゃないか。
posted by 天狗丸 at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

googleのグはGOのグ

 自由と狼藉は違う。もしくは違うべきであろう。
 何もかも規制を緩和して、自由にやるべきだといわれてきたが、どこでどう屁理屈がすり変わったのか、悲劇がある。

 周知の派遣切りである。本来は翻訳など、特殊な職種に対して派遣業を認めていたのを、一般事務や製造業にまで、何にでも派遣を認めてしまった。規制緩和である。

 その結果どうなったか。

 派遣会社が雨後の筍のように乱立した。承知の人も多いかと思うが、結構なぼんやりさんでも、派遣の営業は勤まる。何せ社会のニーズがあったのだ。バブル期の銀行員みたいなもんだ。

 もっとも派遣の営業マン自体は、自分の首を締められるまで分からないブロイラーみたいな状態であることに変わりはない。バブルが弾けて、リストラされた銀行員みたいなもんだ。

 さて規制の話。

 本来、既得権をもった一部を保護するような政策はやめて自由競争にしようよ、というハナシであったが、あのアメリカ草履取り天然パー・オヤジは本当にパーだったのだ。

 派遣を認め、自由を認めると称して、責任を放棄し、最後にその汚れた手で我々を指差した。だって世論が求めたじゃないかと。そして汚れた手を我々の裾になすりつけている。

 まずいぞ。何でも自由競争にすればいいというのではない。ライブドアの末路が悲劇の典型ではないか。

 行政府が国民の安全を守るために、規制すべきである。というか、それができないような連中になんだって、我々は税金を払っているんだ? 我々と我々の隣人が快適で文化的な生活ができるように出し合っているんじゃないのか? それができないなら、行政府はいらないし、そんなものは近代国家でも何でもない。

 国がしかるべきところは規制すべきだ。

 我が国においては、そうあるべきだろう。

 少なくともヤンキーたちのいう自由を、少々美化しすぎていやしないか。血みどろな戦いを経て、流血を世界に求め続ける自由って、そもそも何だ?

 それは大した問題ではない。

 問題はお隣中国である。

 国民の生活を危険な思想から守り、社会平和を守ることを目的に、これまで中国でgoogleを使用する場合は検閲がかかっていたという。

 ダライ・ラマや天安門といった、お馴染みの反中単語を検索しようとしても、結果として表示されなかったのだ。

 それがあったこと自体、少々驚きだ。だが、googleがある事件をきっかけにキレた。

 明らかに中国国籍と思われる場所から、中国系人権活動家のgmail(googleが提供するフリーメール)に不正アクセスがあったというのだ。それを中国の司法に委ねたのに、まるで知らぬ存ぜぬであったのだ。

 これにgoogleが怒った。国に帰らして頂きます。

 何と、今、中国国内でgoogleを使って検索するとどうなるか。上記の反中単語がガンガン検索できるのだという。それも漢字表記で。

 香港につながるらしく、そこでは公開されていた情報が、どんどん大陸全体に出ているのだとか。

 アメリカはこれを自由の保証対、共産管理国家の対立として捕らえている。投票用紙を覗こうとする行為を、何より嫌う国民性というべきだろうか。

 心無い人たち、もしくはオツムてんてんな人たちは、googleを揶揄していうそうな。

「googleは中国での検索エンジンシェアを百度(Baiduバイドゥ)に負けているから、撤退するくせに、その事実を糊塗している」

 そんなバカな。

 百度のトップページを見ても分かるように、ほとんど西側最大検索エンジンの翻訳ともいえるようなレイアウトではないか。我々日本人が、漢字を充分読めなくても充分分かるセンスである。

 kingsoftに続いて、今度はこれかの感は否めないが、まあ、お馴染みといえばお馴染みである。

 政治的な思惑が絡んでといってしまえば簡単。人権に対してナイーブな西側国家と、強権共産国家なら、対立するのが当たり前である。今までなかったように、取り繕っていただけではないか。

 ところが我が国のおっちょこちょいどもがこういう。そうはいっても、中国には十四億のニーズがある。googleの判断は早計であったのではないかと。

 ううん。とうとう魂まで金で売っちゃったのね。守銭奴の考えつきそうな、貧乏臭い発想である。そうなのだ。十四億のニーズなんて、いってるが、それは戦前の馬賊の歌にあったように、「シナにゃ四億の民が住む」と同じ、自民党的安直多数決方式(論理でも、方法論でもない。大体、どこに論というほどのことがあるのか)。アタマ数だけで考えているのだ。

 上海万博のために、市内では高級住宅地が立ち並び、投資目的で個人資産家たちが買い集めている反面、現場で働く人たちは生活のために、家族を郷里に残し、少しずつ積み立てているという。

 毛さんの共産主義って、こんなもんだったのか? まあ、いいや。

 そんな貧富格差をまるきり無視して、十四億の上客さまだと? 本当にそれを当てにしていいのか? またぞろ、引き上げてくる羽目になりはしないか。

 中国側に従い、googleは規制に従うべきであったという意見には反対である。

 gmailが一般公開になって四年、ずっと使ってきたが、便利さが増すことはあっても、減ることはなかった。んでも、時々、反中国的なことを書いてたら、見張られますよ、では到底信用して使っていくことができない。そうなれば、googleを使わなくなるだろうし、またプロバイダーのメアドを中心に、細々と広告メールを削除しつづける、暗黒時代に戻っていくのだ。

 ましてやgoogleの説明を聞いたことがあるが、google自身、集めたデータは分散して保管しており、CEOと副社長三人でないと情報を整合性のとれた状態で、取り出すことができないのだ。

 つまりgoogle自身ですら、そこまで心血を注ぐことで、ニューヨーク市警のデータベースを任されるにまで至ったのだ。

 それを中国共産党政府がいきなりいうのだ。お前らのいう人権って、よく分からんけど、とりあえず人権運動家が喜びそうな話題はウチの愚民どもに見せんなよ。お前の責任で隠しとけよと。

 正面衝突は必至である。

 アンドロイド携帯やら、マップ問題やら、著作物問題は少々頂けないことも感じるが、少なくとも中国撤退万歳である。

 あらゆる情報が正義だとは思わないし、情報が全て開示されることと、社会がよくなっていくことは必ずしも一致しないと思う。

 しかしユゴーが言ったように「新聞さえなければ、フランス革命は起こらなかっただろう」という言葉は、真理であると思う。

 中国の民衆は欲しているのだ。甘口だか辛口だか、知らないが少なくとも知らされていなかった事実を。

 googleに一票。
posted by 天狗丸 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

進行中の噂。小沢編

 こんな陰謀説を聞いたことはないだろうか。

 仕組まれたロッキード事件説。

 元首相でありながら、田中角栄は逮捕された。アメリカのロッキード社から賄賂を受け取って、日本の航空業界に対して便宜を図ったという罪である。

 あのダミ声ババアの父親と言われても、実際三十代の人間ですら、余りよく知らないだろう。

 ところが陰謀説はある。

 知られたことだが、我が国と中国共産党政府は戦後、国交を断絶していた。聖徳太子の時代に隋の皇帝を怒らせた時以上に、日中関係は冷え込んでいた。それを変えたのは田中角栄である。

 彼は周到にパンダでメディアの目を残留孤児から反らせると国交を正常化した。仲良くしようよ。お互い、漢字を使う国じゃないかと。

 ところが左巻きの連中が感激する、この美談にも裏話がある。

 彼は大東亜共栄圏のリバイバルを、軍事力ではなく、経済力で実現しようとした。つまり中国にある石油資源を求めた。東南アジアに対しても、積極的に外交を展開していた。

 戦後、アジア各国が独立していくのを受けて、対等にビジネスパートナーとして、アジアのオリジナル経済圏を作ろうとしていたという。

 ところがこのアイデアは、欧州連合より先んじ過ぎた。まず嫌悪感を示したのはアメリカだと言われている。

 何せアラブ経由なしで、精製した石油を使おうというのだ。おいおい、それはアメリカに金を払わないということか? だ。

 こっそりやっていたが、世界の警察は自社製品でない石油をやりとりされる噂をいち早く察知した。そしてその構想を打ち砕くべく、手を打った。

 突然、田中角栄はアメリカのボーイング社から賄賂を受け取っていたことが判明する。メディアは一斉社会正義を盾に彼に襲いかかった。

 なあぁんてね。

 月並みでアホ臭い陰謀説である。

 アメリカが標榜するデモクラシーは確かに優れたシステムである。ローマ帝国でも結構長持ちしたし、少なくとも聖徳太子は話し合い、議論することで解決を図るべしと十七条憲法で規定している。

 理性的な話し合い。デモクラシーの基本ではないか。万能ではないにしても、自国民を粛清することのないシステムである。

 ところがアメリカの意に添わない政権は簡単に取り替えられるとしたら、話は別である。マイケル・ジャクソンを好きだし、ハリウッド映画を見るし、六年間、国の金で英語を勉強するが、それでもアメリカのデモクラシーは、民主的ではなく、その対極にある覇権主義になる。

 アメリカに支援を受けて誕生した政権が独裁体制を築き、その独裁者がめまぐるしく変わったとしたら、それは果たして民主主義なのか?

 八十年代に共産主義と戦うために育てられたアフガニスタンの戦士たちは、今やテロリストの代名詞である。

 まさか。そんなアメリカの覇権主義がかつてはあったのかもしれない。そうだ。以前のアメリカはやはり冷戦のせいで、我々を共産主義の脅威から守ってくれていたのだ。

 反米的な政権があって、不条理に窮地に陥ることなんて、今やあり得ない。

 ところで別の話題である。

 我が国の基地移設問題はどうなったんだ? 小学校に戦車をつっこませたり、児童をレイプするような海兵隊にどん引きした我々が、代表たちにオーダーしたんじゃないのか。

 あいつら、ちょっと席を外してくれないかと。

 一向に全面解決した訳ではないし、そのスピードは遅すぎるくらいだ。

 そんなことを言っているうちに、話題がすり替わっていないか。何でも民主党の小沢が賄賂を受け取っていたとか。

 あれ? 別の話っていったような気がするが?

 あ、そうだ。我が国の領土に米軍が駐留して、講和条約を結んだというのに、まだ居残るばかりか、我々の税金から思いやりとして、多額の支援をしている。

 それを縮小して貰えないかと、民主党は言い出した。するとその代表が突然収賄容疑である。その罪状を言い募るのは、アメリカ仕込みの捜査で知られている東京地検特捜部である。

 田中角栄のコピーじゃないよな?

 彼が潔白であることは、ほぼ確定であろう。

 問題は単純な社会正義を振りかざし、無実の養鶏場責任者を首吊り自殺に追い込んだ前科を持つ、マスコミである。責任者の戸惑う口調はしっかり報道するが、その死はなんでだろうかしら、である。もしくは風評被害なんですって、かわいそうにねぇ、だ。

 そして今度は小沢である。カメラの前で泣いて謝罪しなかったぞ、なんて野郎だ。疑われたのに、土下座しないなんて、俺たちマスコミをナメてんのか、だ。

 何よりも叙情的なのは、引責辞任を求める与論調査である。これだけ沢山の人が代表を止めてって、いってますよお。一郎君には、先生がっかりだなぁ、だ。

 そしてメディアを鵜呑みにする国民も良くない。

 結構、悪役レスラーのように扱ってきた小沢に対して、突然清廉潔白を求めるのだ。疑われるようなことをした人が悪いと思います。品行方正じゃない人が、与党なのは良くないと思います、だ。

 疑われた人間が悪いのだろうか?

 臭い者を擦り付けられた人がいて、それが作為的にかどうかは別にして、臭いというだけで断罪するのはまずい。裁かれるべきは擦り付けた者か、その原因である。

 臭いと騒ぐのは、理性的ではない。

 冷静に情報を精査して、理性的な判断をする。これは民主主義国家の主権者にして、責任者たる我々日本人の責務である。

 もし世界でも稀にみるほど、冷静で穏やかで、優しいという国民性を捨てて、大仰に目先の情報に騒ぎ立てるだけなら、テロリストたちの最高の標的であろう。

 軽く枝を揺さぶるだけで、次々悲鳴を上げて木から降りてくるのだ。それが文明的で理性的だといえるだろうか。

 小沢が無罪と判明したなら、余計な詮索は司法制度への侮辱である。それが信用できないというのであれば、すでに我々の社会は破綻している。三権分立など茶番だし、全てが茶番だと偽悪を気取るなら、経済大国であったことも実は茶番ではないか。

 そもそも、そんなものが近代民主主義国家だなんて、どの面下げていえるのだ。
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2010年01月07日

デジタルで読んだり聞いたり

 昨年2009年一年間で、iphoneを一番新規加入した国民は?

 アメリカ? 中国?

 ブー。外れ。正解は日本人でした。300%の伸び率で日本人ユーザーが増えている。世界一、iphoneを使い始めた国なのだ。

 音楽が聞けるだけではない。あんなことやこんなことまで、指先タッチでできてしまう。詳細は省略するが、身近にiphoneデビューした人は意外に多いのではあるまいか。

 ところが登場当初、日本の携帯各社は何といっていた。

 何でもグローバル・スタンダードでやればいいのではない。日本には写メやメールという、携帯電話文化があるのだと。ナメんなよ、アメ公と。

 ところがどうだろうか。

 携帯電話片手にタレントが微笑む広告より、かじりかけのリンゴのロゴに、ユーザーが瞬く間に飛びついたではないか。おいおい、我が国の携帯文化とやらは、そんなに脆弱で、単調で、閉鎖的であったのか?

 そう。その通り。

 今や一本調子に、画像の高精細ぐらいしか宣伝できるものがないのだ。

 一方はデジタルカメラ並の高精細画像と、液晶テレビ並の綺麗な画面。あと有名タレントが宣伝してるという魅力。

 対するは指タッチで簡単操作だが、多機能で、音楽やアプリケーションをPCなしに買えたり(店内で流れている曲を聞かせたら、曲名を当てて、その場で買える!)、自分で好きな機能をカスタマイズできる。

 個人的には後者が欲しいと思うが、どうだろうか。

 日本の携帯電話産業はガラパゴスだと揶揄されてきた。携帯各社が排他的で、外国と異なる形式を採用することで、独自に高度に進化をしてきた。

 だが、その垣根をapple社が飛び越えてきた。androidだって、二周遅れぐらいで参戦していたが、目下明らかに、iphoneの圧勝である。

 国際競争力がないとかなんとか、我が国の経済ジャーナリストたちは明後日の方向に向かって、キャンキャン吠えていたが、一体なんだっていうんだ。

 国際的な潮流に揉まれる瞬間を怯えるだけで、誰も何も考えていなかったのではないか。それを臆病者というのではないか。

 圧倒的にiphoneの方が、端末機器として魅力的な機能を沢山揃えているし、その可能性は際限がない。画面が綺麗であったり、無料ゲームができたからといって、何だ。そこに未来はあるのか? ビジョンはあるのか?

 音楽プレイヤーにゲーム機能をつけて、仕舞いには携帯電話をつけてきたのだ。進化の方向が我が国の携帯電話と真逆なのではないだろうか。

 あぁぁあ。大いなる嘆息を込めていおう。また我が国のメーカーは過去の成功事例を、ビジネス雑誌で読んだのだろう。一つ覚えに別のことにこぎ出すことなく、一本調子に同じサービスや性能だけを追い求めて、性懲りもなく客から見放されるのだろう。

 いや、待て待て。

 どうも、携帯電話の話で終わりそうにない。

 電子ブックである。

 紆余曲折はまだまだあるが、アメリカではアマゾンのkindleが書籍より売れたのだとか。

 紙媒体ではなく、電子媒体を読むのだとか。

 紙でないと、読書体験は充実しないんだと。紙のしわやしみ一つ一つに味わいがあるのだと。読書人はそういうのかもしれない。

 しかしそれは読書家(あるいは読書家気取り)がじっくり時間をかけて、太宰治や夏目漱石を読むときにそうすべきである。忙しい社会人にとって、そんな時間はない。

 コンパクトにまとまり、しおりや付箋をつけられるのであれば、垂涎である。

 ところが生憎、日本語対応はしていないのだ。自分で青空文庫に行き、データを落として、変換する作業を発注しないといけない。

 だが、それだけで実際には読み込むことができる。今回発売されたDX版では、PDF形式が読み込めるようになったそうだ。

 重たい書籍を持ち歩かず、液晶画面で読めるのだ。昔から電子ブックはあったが、Amazonの発売ときたから、サービスも充実している。

 アメリカ本土では、すでにi-tuneの書籍版だと言われている。

 どんなに長編でも、軽くメモりで持ち歩けることは、革命的といえるだろう。

 本(book)は語原が聖書(bible)であった。そのため教会から持ち出されることはなく、逆に行えば本(聖書)があるから教会ともいえた。

 それを根底から覆したのが、グーテンベルクだと言われている。ドイツ人の彼が活版印刷を発明し、本は安価で持ち運びができるものに変貌を遂げた。世界が変わったのは、まさにこの瞬間といっても言い過ぎでない。読み書きができるというスキルが、社会的に圧倒的な格差を生むようになったのだ。

 それと同じくらいの大転換が、今回の電子ブックと呼ばれるものだと考えていいのではないだろうか。

 それまで物理的な要素(紙)によって、我々の読めるものは限定されてきた。しかしそれはデジタルデータに取って代わられようとしている。

 かつては手書きで書写された聖書や、版木から印刷された経典でしか、読むことができなかった。それが活字になった。それが今度はデータになるのだ。

 そう考えると、紙媒体でなければならない理由など、相対的なもので、慣習に起因しているに過ぎない。我々はインキを読んでいるのではない。書かれている内容を読んでいるのだ。

 そう考えると、電子ブックの市場は活況を呈していくことは明白である。Amazonの独占を許すまじと、SONYなどが対抗アイテムを販売している。

 ところがどうだ。我が国は。

 再販制度について、充分解決しないまま、小売店にリスクを全て負わせ、結局何も変化しようとしていないのだ。ユーザーが何をほしがっているかなど、お構いなしである。

 かつて携帯電話がそうだった。

 写メが送れる。ムービーが送れる。一時期そう言われていたが、その後もずっと同じことを言われるのだ。画像、画像、画像。

 かくしてスティーブ・ジョブズ率いる一味がやってくるのだ。とっても便利で、楽しい携帯っていらんかねぇと。

 今やそれが押すな押すなの人だかりである。

 ああ、まただ。

 今度は書籍に対して、同じような話題で締めくくるのではないか。なぜ日本人は二度負けたのかとか、何とか経済学者が書くのだろう。

 しかし、その原因など、ちょっと頭を冷やせば分かるはずだ。

 従来のヒットにあやかって、新しいアイデアなどにだまされないこと。そうして、最初から何もしないこと。

 その結果がもう一回くる。

 いや、この先、何度でも来る。そしてそれがなぜなのかと、したり顔で、誰かがいうのだ。

 なぜ日本人は破れ続けるのかと。

 いい加減、傷つかないか?
posted by 天狗丸 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

政治利用か自己陶酔か

 残念なことに民主党の中でも、小沢一郎の権力は絶大である。というか、実際は民主とは名乗りながら、主は我々有権者ではなく、小沢なのだ。

 市民運動から政治家に転身した菅直人などとは違う。生まれた時から自民党で叩き上げられてきた、筋金入りの政治屋である。

 彼がどうやら皇室を政治利用しているようだ。

 慣例的になった一カ月前の申請を無視して、

「そんなこと明文化されたルールじゃないんだから、四の五のいわず、いわれた通りに天皇を動かせ」

 まあ、そんなに離れていないニュアンスで発言していた。宮内庁の代表者が一カ月前の申請ルールを今後破って欲しくないといったのに対してだ。

 どうも保守を名乗る連中も胡散臭い。本当に陛下と我々の未来を考えているのか。大国の利害に乗じて、平気で魂や節度までも、換金しかねないような奴らだ。

 何も明治憲法に戻して、統帥権を天皇に戻すというのに賛成しているのではない。実際、そうした憲法を草案した連中こそ、陛下の名のもとに、満州事変やら上海事変やらを起こしたのではないか。

 桂小五郎など、幕末の志士たちの手紙の中に、孝明天皇のことを玉と暗号にして、政治利用していたと、左翼系教科書(大体、教育書籍にイデオロギーが介在するって、何なんだ?)には、したり顔で書いていることがある。

 まるで日頃、憎悪している天皇を、突然、被害者のように扱うのだ。

 まあ、最初から近代の明治政府自体が、最初から貧乏公家を介して、天皇を担ぎ上げて強奪した政権だから、今さら政治利用どうこういう方がおかしいのかもしれない。

 来年の大河ドラマは四十年前の竜馬像を踏襲した、明治正義歴史感に基づいた、チョーまじっていうか、福山マジかっこいいんじゃね? 系のドラマである。何でも我々から巻き上げた受信料で制作されるのだとか。

 んで、紀州藩への当たり屋、性病持ち虚言癖を正義の味方にするには、当然、徳川幕府はそれにまして馬鹿でないといけない。まあ、最初から寝言だ。

 そんなことはどうでもいい。

 だが、少なくとも我々と皇室が結構仲良くなっていたのに、我々が投票してやった恩義を忘れて、外国の使いっ走りになっているのが、小沢なんじゃないのか。

 そしてその小沢の使いっ走りが、首相官邸に住んでいるギョロ眼のおいやんではないのか。

 いいんだ。

 小沢だろうが、鳩山だろうが。彼らは二世政治家で、我々とは違うサラブレッドである。我々愚民どもを正しい百年の大系で導いてくれるのなら。三世の天パー親父でなければ、いいのだ。

 我々は今までと変わりなく、日曜日に早起きしたら皇室アルバムをみたり、こどもの国にお出かけになられたお姿に、ほっこりしていればいいのだ。

 大丈夫。右翼の連中が街宣車でがなり立てていたが、大したことではない。

 彼らは北朝鮮の拉致疑惑に対して憤慨していた。しかし皇室の政治利用に対しては、一言も触れていなかった。連中も小沢が怖いのか、あるい新聞が読めないかだ。そんな連中が怖いか?

 大体、暴走族を見て、我が国の将来を憂いたりするか? 連中は大音量で何かと戦っているつもりらしい。それが見当外れで、音量で自分の脳波に異常を来していると気付いた時には、就職先がなくなっていたというのが関の山だろう。

 それと同じように、右翼を見て、我が国の将来が危ういか? 大音量で脳波に異常を来しているのに、それに気付いていないだけではないか。痛いだけの憂国烈士。

 連中が愛しているのは、この自然豊かで、豊穣な文化をもった葦原豊国(あしはらのとよつくに=葦が生い茂るほど植物が豊かに育つ国。日本の美称)ではない。抽象的な近代国家のnationであり、国土への愛着もなく、イデオロギーもなく、国を愛しているといえる自分自身に過ぎない。

 威厳を持ちながら、穏やかに微笑んで我々をほっこりさせてくれる、陛下すら、連中は愛していないのだ。そんな連中をどうして、俺たちが愛さないといけない?

 我が国にありもしない、地球連邦を夢見て、世界革命を目指す思想は無粋である。そして文化や皇室への親しみもなく、「国を愛していると宣言できちゃう俺さま」も不要である。
posted by 天狗丸 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

ビジネス善人説の虚妄

 仕事でWindows以外を使うこともある。一般企業なので、Macである。

 Macユーザーの話を聞くと、どこかビル・ゲイツを小馬鹿にしたような節がある。その点、ジョブズときたら、とさりげなく、彼らの信奉するカリスマを持ち上げる。

 何となく、それがカッコいいと思っていた。

 どこまでも、イメージだけだが。

 しかし動画で現れるジョブズは、気さくで好奇心旺盛で、技術屋にユーザー目線で文句をいってくれそうなイメージがある。

 そんな気がしていたから、ジョブズの言行録をまとめたような、新書を手に取ってみた。Macの原動力は、ジョブズの天才性は、一体どこにあるのか。そんな好奇心がかき立てられたからだ。

 ところが本を開いてがっかりである。

 横柄で、横暴で、卑怯で、狡猾な、小男の悪行が相次いで掲載されているのだ。そして、何よりもキツかったのは、

「時には仲間を裏切る決断をすることも必要」

 という、へたれな理屈の日本人著者による総括である。

 どう見ても、まとめとして論理が破綻しているのだ。

 中世の日本において、実は貨幣経済が成り立っていた。マルクス的権力闘争史観からすれば、逸脱してしまうが、仕方ない。ピラミッドだって、奴隷が作ったんではなかったんだから。

 経済的な有力者のことを、有徳人と呼んでいた。つまり徳(人格)が備わっているから、お金も集まってくるのだと。

 どうも我々はそうしたイメージに、今なお引きづられているのかもしれない。

 たとえば松下幸之助の美談。

「丁稚奉公していた時に、小さな電球が同時に使えたら、便利だと思っていたんだ。この二股ソケットを売りなさい」

「ペータだと、既存のカセットテープと混乱する危険性がある。高齢者や子供にもはっきり分かる大きさのVHSを採用しなさい」

 とかとか。

 創業者、経済界の成功者=人格者。そう思いたいのだ。

 ところが我が国が近代資本主義に目覚めて百年たったあたりから、少々雲行きが怪しくなった。ホリエモンでとっくに気づいていたかと思うが、経済活動が精神活動に直接はつながらないということを。

 経済で成功するのに、必ずしも精神性が問われることはないということだ。

 そう考えると、実は先のジョブズも当然であろう。彼を人格者であるかのように思おうとするから、むちゃくちゃな論理で紹介することになるのだ。

 いってしまえば、所詮、銭金のことじゃないか。

 確かにヒューレット・パッカードのように、社会に貢献することが目的であると、標榜する会社もある。

 だが、それはあくまでも選択肢の一つでしかないのだ。それが経済活動じゃないか。

 政治にも、経済にも、何にでも精神性を持ち込んでしまうことはあるが、時に冷静にみることも必要だろう。

 ジョブズは我々よりも、優れたインスピレーションを受け、次々と我々を幸せにするアイデアを出してくれる。

 だが、友達としてつき合っていきたい、好人物であるかどうかは別問題でいいじゃないか。

 一方的にゲイツを小馬鹿にして、ジョブズを賞賛するのは、いただけないということだ。ジョブズだって、ゲイツだって、大概じゃないか。

 それよりもリナックスの発明者リーナス・トーバルズの方が、遙かに高潔じゃないか。無料のOSって、西側経済に頭のてっぺんまで漬かっている我々には、お口ポカンなのが実態である。

 UNIXをあんなに使いやすくしてくれてるのに。

 ジョブズはMacを作ったから有徳人だなんて、少々キツい。

 我々日本人は白人と見ただけで、善意的に解釈しすぎていないか。本当に今でも、連中がいつもチョコレートやガムをジープから投げてくれると、信じているのか?
posted by 天狗丸 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする