一体、何が起こっているのだ。
我々と同じ日本語を話し、同じく景気の悪いことをぼやき、同じところへ納税していた人たちが、たくさん死んだ。
悪いことをしていた連中もいただろうが、悪いことすらできない子供たちもいた。
東北で、山陸部ではなく、どっちかというと海岸部に住宅があったという理由で死んでいったのである。不条理極まりないが、天災である。
決してノアだけえこ贔屓するような、彼の仕業ではない。
信仰も、品行も関係なく、地べたが揺れたせいで、海水が津波になって、襲ってきたのだ。
天罰だとか何とかと、信仰もなく口にした薄ら馬鹿が東京都にいたらしいが、そいつの頭上に早晩、天罰が下らないか、むしろ心配である。中身が足りない頭にこそ、天罰は落ちやすいのではないか。
ポルノ小説を書いていた、薄ら馬鹿など、どうでもいい。
彼の作品が話題になっていた時代に生まれなかった幸福。まあいいや。
それよりも問題は、議会制民主主義である。
「復興にめどがつくまで、責任を果たし、そのあとで若い人たちに責任を引き継いでもらいたい」
管直人はそう言った。肉声の映像を公共の電波で受信した。確かに、めどがつくまで、といっていた。
つまり復興の見通しがつくまで、総理の席を立ったりしませんということなのだ。総理やめよっかなぁ。あ、辞めます。安部とか、福田とか、バイト君総理がいたが、我らが直人は彼らより、責任感があるようだ。
この茶番劇の中心人物を気取って、コマネチしてた小沢とか、鳩山など、雑魚はどうでもいい。
マスコミである。
「管総理の辞意表明を受けて」
翌日のニュースはそう言った。思わず、口に出して画面に言っていた。マジで?
ところが違った。直人の発言をどう聞いたのか、若い人に責任を果たしてもらいたい、という一言だけをもって、辞意表明だと騒いでいるのだ。
本気か? というか素面か?
めどがつくまで頑張り、そのあとは後進に任せます。これが辞意表明に聞こえたというのなら、もう少し作文の勉強が必要ではないだろうか。
私は寿命が尽きたら死にます。そう言ったら、自殺予告に聞こえるだろうか。
まさか言葉尻をとらえて、管を辞任に追い込み、それで鬼の首をとったと思っているとしたら、悪趣味窮まりない。スケープゴートというやつではないのか。我々の社会はそんなに単純だったのか?
諸悪の根源は、リーダーシップの不在や、旧態依然とした官僚たちなのか。とんちんかんな屁理屈で、まともに議論を許さず、混ぜっ返して、幼稚な正義感を気取る、マスコミなのではないか。
我が国に原爆が二回も落とされた。その上に、この津波である。そういってもいいくらいの国難なのではないか。
その復興が急務である時期に、総理の不信任決議案である。
マスコミが誰も言わないから、いってやろう。火事場泥棒もはなはだしいと。ナメてんのか。議事堂お昼寝倶楽部の連中は、直人を名指しで批判しているが、それがスケープゴートでないと、まさか本気で言っているんじゃないよな?
具体的に復興が進んでいない。だから、管直人はだめなんだ。
そういうが、それでは民主主義として、議論しているのか? 直人にはひねり出せなかった、復興のアイデアを一度でも、国会で議論したのか?
待て待て。議会制民主主義ってのは、国民の代表が理性的に、合理的な計画を議論して、国家を運営していくというシステムだったんじゃないのか?
議論せず、野次を飛ばすのが、仕事だとしたら、お昼寝倶楽部である。
具体的に解決していないのは、お前らのせいなんじゃないの? 今までも色んな問題を、議論するとかいいながら、先延ばしにしてきた連中が、この緊急時に本当に我々や、東北の隣人を助けられるのか?
管を批判する意見はあるが、具体的に復旧プランを提示したのはどこだ? 我々と隣人をちょっと水にひたらない場所へ案内しようとしてくれた議員が一人でもいるのか?
連中は議事堂で昼寝して、合間に直人の野次を飛ばしているだけではないか。それがこの茶番劇の本質なのではないか。
ブッシュのカタリーナ台風被災地救済より、直人ははるかに仕事をしているのではないか?
率直にいって、国家的な危機に対して、国会との温度差が寒々しい。
誰が首相であれ、団結・協力して、この危機を早急に回避すべきであるし、東京電力の伝言ゲームをいい加減中断しないといけないのではないか。
広島・長崎での歴史以外に、被爆なんて言葉は使われるべきではなかったんじゃないか。このことだけをとっても、我々の感覚はもう、麻痺しているじゃないか。
百人の寝ぼけ議員が知恵すら出し合わず、ジャンケンなみの茶地い権力争いをしている。
管の不信任案は否決された。それは管にとって良かったかどうかなど、どうでもいい。問題は被災地にとってどうであったか。
否決されたか、可決されたかを問題にすること自体が、とっくに無駄ではなかったか。
議事堂内で、薄ら馬鹿どもが、ジャンケン大会している間に、被災地の体育館で老婆が、子供が、昨日より咳こんでいるのだとしたら、我々は何をしていたというのだ。
議会制民主主義とやらが、その程度の茶番であるとしたら、本当にこの危機に対応できるシステムなのだろうか。
協力なリーダーシップといいながら、一方で十分な議論という。リーダーを求めて、リーダーを認めない。明らかに破たんした論理ではないか。
そんなことにもじもじしている間に、被災者の生活費は底をついているのだ。我々の物資が停留しているとしたら?
何が問題なのかも整理されていない、散らかったテーブルを片づけるのが先ではないか。誰が命令するかを決めている場合なんだろうか。
ふと思う。葉巻をくわえて、難しい顔をしている「悪の共産国家」の、あのフィデロ。
彼はリーダーなのか? 旧政権を倒して、福利厚生の充実した国家システムを作ったんだと?
独裁者ってのは、労働服を着て、喜び組のケツをかぶりつきで眺める天然パーマしかいない、というイメージは、ひょっとして単なるイメージ操作なのではないか。
ほかにも独裁者はいるが、決断力があって、国民生活を向上させる独裁者なんて、地球上に存在しないことになっているが、本当なんだろうか。
何か、それこそ、議会制民主主義の側のイメージ操作なのではないか。
いや。いやいや。
そんなことを渇望してはならない。我々はあくまで薄っぺらい投票用紙に、土曜日の夜まで連呼されていた、誰かの名前を、体育館で手書きするのだ。
それによって、単に議事堂お昼寝倶楽部のメンバーが決定しているのか、ちゃんと被災地が救われているのか、しっかりと見張らないといけないのだ。
クーデターや革命など、物騒なことをこのうえ、夢想してはならない。
少なくとも、お昼寝倶楽部の連中より、我々の方が東北の被災地の復興を切実に願っている。
【怒りの矛先の最新記事】

