2009年06月30日

強さのはき違い

 まずは相手を脅しておく。そうしておけば、後の力関係が有利になる。こちらが普通に接していても、過剰に良心的に優しさを感じ取ってくれる。

 というのが、やくざの処世術らしい。コンビニで売っている類の、男性的な世渡り(世渡り上手が男らしいかどうかは、まず置く)ムック本に載ってそう。

 さっすがぁ。オツムてんてんな連中が、勿体つけて語りそうな、おサルさん社会のルールじゃないか。

 ついでに、それだけで我々人類が旨くいく可能性は、ほぼ皆無である。脅した本人が陶酔しているだけで、なぁんにも解決しないばかりか、問題を陰湿に潜在化させているだけ。

 もっともやくざ屋さんに、潜在化なんて言っても、コインランドリーを想像されるくらいだし、やくざの処世術を知ろうとしている人間の浅はかさはどっこいどっこいである。

 国立教育政策研究所の調査で、中学生の八割がいじめの被害者か、加害者になっているという。

 いじめる子供と、いじめられる子供の入れ替わりも頻繁に起こっているため、特定の生徒を注意していたのでは、対応できないというのだ。

 ううん。まるでおサルさん。恫喝し、威圧していた生徒が一転して、いじめられる側になるということか。

 というか、八割もの生徒がいじめに関係しているということ自体、相当ショックだ。どんだけいじめが好きなんだ、あいつら。

 大人だけがいじめに怯えていて、中学生はウェルカムなんじゃないのかと疑いたくもなる。

 勉強しろとはいえた義理はないが、異性の視線や部活や、お笑い番組やら、夢中になることは無限にあるだろう。いや、自分のなかで一番面白いものが見つかるのが、中学時代ではないか。この時期に見つかったものが、生涯の楽しみであったり、人生を変えるものではないのか。

 それがいじめで汲々しているだなんて。いや、八割も乗り遅れてはなるまいと、必死に取り組んでいるとしたら、底の知れた人生である。

 仲良く、平和であることを強制された結果、自分が不条理と感じることも、欲求も衝動も押さえ込んで、人殺しをするマンガを読みふけるのが、実態だとしたら、哀れ。惨めな十代である。

 大人社会の縮図であるとか何とか、とかく教育関係者は言いたがるが、ひどい言われ様ではないか。少なくとも大人社会で八割の人間がいじめに関わっていると、社会活動は破綻する。というか、成り立たない。というか、ヒマすぎ。

 実社会はそんなに単純じゃない。

 ノリが悪かろうが、印象の悪い態度を取ろうが、それがその人の人格に直結して、生涯にわたって判定するようなものではない。

 もしそんな会社があるとしたら、お見事。ご時世柄、倒産するのは見えたものだ。

 いじめは社会問題であるが、加害者も被害者も容易に反転してしまうというのは、つまり秩序として成立していないということではないだろうか。明らかに混乱していることである。

 そして、この混乱こそ平和の対極にあるもんじゃないだろうか。

 ゆとり教育の結果、中学生たちがクラスのムカつく相手をいたぶる方法を熟慮していたとしたら、滑稽だ。我々大人は実社会を知らない、純粋培養の薄らバカどもにそそのかされて、個性だ、自分らしさを見つけることと称して、いじめを推奨する環境を整えていたのだ。

 いや、いじめこそが彼ら餓鬼道の本当の姿……いや、言い過ぎた。撤回する。

 もとい、我々は少々薄らバカ教師どもの百鬼夜行に、少々無関心だったのかもしれない。

 そして周囲を脅かして、目一杯背伸びしたいじめっ子が、足下をすくわれて、いじめられても当然だろう。背伸びしたことが悪いのではない。おサルさん方式で背伸びする事で、人間社会を世渡りしようとしたことが責められるべきだ。

 ましてや、いい大人が幼稚な任侠処世術を、真に受けようとするなんて。幼稚な偽悪である。それこそ、空気を読めていない証左だ。いじめないから、勘弁してくれ。
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2009年06月28日

不安の対価

 どうしてもだ。どうしても、我々の国は儲からないのだ。何やっても、景気は悪いまま。

 誰かが、寝ぼけ眼をこすっていう。景気の底は見えましたと。聞いている我々は思う。またかよ。さては夢でボディコンの姉ちゃんでも見たか。

 一体、何を根拠にそんな寝言をいっているのだろう。もうここまでくると、信憑性で比べるなら、宇宙人の存在の方が信じられるのではないだろうか。

 結局、定額給付金について、さんざん揉めておきながら、誰も結果をリサーチしていない。レポートは有権者に内緒だと? 本来、政府の金なんて物はないんだ。我々の積立金だ。それが民主主義国家じゃないのか。

 一万二千円で日本の景気が買えると、議員バッチをつけたお昼寝組は本気で思っていたらしいが、頓珍漢もいいところ。

 結局、何も変わらず、次の泥仕合で国政だのなんだの、結構な御託をまくしたてる。それも呑まずに。あるいは朝から一杯ひっかけてだ。

 ところで何で消費が冷え込んでいるのか。肝心なことを忘れていないか。

 誰かが天下の周り物を、タンスにストックしているからじゃなかったのか。

 定年退職をした高齢者は実は、結構金を持っているという。じゃあ、彼らをくすぐって、金を出させればいい。だが、逆さにして振っても、彼らはなかなか金を出さない。

 なぜか。

 北風が吹いているからだ。つまり、老後が心配なのだ。老後が安心できれば、余剰なお金を贅沢に使ったり、中には気前よく寄付してくれたりするハズなのだ。

 待てよ? 世界でも屈指の長寿命を我が国は誇っていたのではないだろう。ご長寿に関しては、我が国は一家言もっている。医療は技術はもちろん、搬送するためのサービスは地球上でもっとも優れた体制ではないか。

 六歳で射撃の訓練を受けて、二十代前半で、同じく少年兵にこめかみを撃たれて死ぬような人生ではない。三十代で独身だったり、職にありつけなかったり(それはそれで深刻だが)するが、成城は安定している。自民・民主がいうほどの危機など、来ていない。

 来るとしたら、議会制民主主義を万能視しない、強力な全体主義である。

 じゃあ、高齢者は一体何が心配なのか。

 実は年金なのだ。まさか、老後の蓄えですからと巻き上げておいて、箱物とリクライニングチェアに使用するのを、政府が黙認しているとは思いもしなかったのである。

 年金が破綻する。相互に助け合いを目指してきた、戦後の平和好きな日本人のモラルなんて、ここ十年ばかしで木っ端微塵である。

 そして誰も言わないが、社会保険庁は高齢者の安心を奪ったというだけではない。彼らが安心と同時に財布を緩めるという、シュチエーションを台無しにした。

 それに起因して、社会不安と経済成長の低迷、ひいては経済活動一つ覚え国家を衰退させているとするなら、ひどい。古い表現だが、国賊である。

 汗水垂らして、明日が良くなると思って働いてきた、鈍くさいくらい寡黙な人たちから、金をネコババしていたというじゃないか。

 だが、社会保険庁に右翼団体が殴り込んだという話はついぞ聞かない。ちょっと彼らの頭で理解するには、難しかったかな。

 結局、次の選挙である。次の不正である。

 犯人が誰か。なぜそうなったのか。

 だぁれも教えてくれない。この虚無。

 じゃあ、年金は本当に確保されているのか。確認する書類が届いたが、最終的に完全に照合できているのか。

 舛添大臣が口を開きかけたのに、マスコミは知らんぷりをして、あの弁護士知事か、たけし軍団の人にマイクを向けているのではないか。

 何だ。流行だけでいいのか。

 そうそう。鳩山だろうが、麻生だろうが、どうでもいいが、マイケル・ジャクソンが死んだって? 忌清四郎の次ってか。音楽業界大騒動やね。

 マスコミもそんな堅い顔すんなよ。言ってることは、

「今年のおしゃれ水着は大胆な白に注目!!」

 とかいう連中と、大差ない。声のトーンが低いか、高いかの違いだ。

 社会保険庁が奪ったのは、経済的には端金だろう。しかし失った信頼は大きい。そして信頼なくして、近代商業は成り立たないし、近代民主主義も成り立たない。

 なぁんか、我々は今、結構デカい落とし物しなかったっけ?
posted by 天狗丸 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

起業家と博打

 スカイプという、ウェブを使った無料電話システムはルクセンブルクという、東京都二十三区程度の大きさの国で作られた。

 大企業の、大きなオフィスで、出世争いの中で開発されたものでもなければ、下請けに競合プレゼンさせてアイデアとノウハウを分捕ったものでもない。

 小さな国の小さな会社が、考え、発明したのだ。

 音声通話の次世代端末として、注目されて久しい。不幸にも巨額の広告費を投じていないため、自壊することで知られる、あのOSほどは知られていないが。

 しかしウェブを少し使い込んだ人間なら、だいたい知っているのではないだろうか。

 小さなアイデアが、大きな世界を動かしている実証である。

 総じて北欧はそうした風土が高いという。

 つまり開発費において、アメリカに負けるなら、本質的なアイデアを大切にして商品化していこうと。

 海外での携帯電話ノキアも同様である。

 しかるに、我が国では開拓者精神だとか、創業者精神だとか、次々と勿体つけたフレーズを我々は愛するが、その実は誰もまともにとりあっちゃいない。クリスマス商戦でのラブソングみたいなもので、陶酔したいだけなのだ。

 そうこうしていると、ひどいことを言うアメリカ人もいる。

 日本に起業する風土がない。新たな産業を起こす気概がないと。

 その通り。ザッツ・ライト! ドンぴしゃ。

 既存の産業はどれも頭打ち。かれこれ十五、六年しょんぼり君である。ならば、新たなビジネスが発明されていいのだろうが、我々は決してそんなことはしない。

 どうしてか。

 日本人は保守的だから? まさか。つい最近まで太陽光発電の技術は日本が一位だった。(政府に支援されたドイツのメーカーに抜かれている。ほら、保守も進歩も口を揃える、日本の没落が始まってるぞ。狼が来るぞ)

 電気自動車を考えたり、我々は新しいことを始める能力に長けている。

 世界の空港で、搭乗口と出口が別々のフロアにあるのは、南満州鉄道が最初にやったのがモデルになっている。

 我々の祖先は誰かがいうほど、バカじゃなかった。というか、バカ呼ばわりする連中は、あまり勉強していないというべきだろう。怠け者か、先天的なバカかだ。

 あんまり好きではないのだが、神道の考え方を引用して、日本人は物作りが好きなことをいう意見もある。

 つまり神々に供えるものは、偽り無く、誠意をもって心を込めて作り、準備しないといけない。そこに手落ちがあることは、神々に対して、非礼を働くことであり、災いを引き起こすリスクも潜在的にあるという。だが、精魂込めた供物が報われると、幸福も訪れるというのだ。

 その精神性が製造業への理解につながり、顧客満足を美学とする論理に発展していったというのだ。

 無論、禊ぎや祓い清めの説明が抜けており、神代の昔に伝えられたものを尊ぶ方向性とは異なる。つまり製造業と神道をつなげるには、厳密には多少無理がある。

 しかし少なくとも、我々日本人は労働を軽蔑し、トレーディングで泡銭を稼ぐことに、後ろめたさを感じる。感じることを、少なくとも正常だとも知っている。

 では、だ。問題はそこまで働くことに抵抗が少ないどころか、崇高に思っているのに。国民生活を豊かなものにしようと志して、起業する人がいないか。

 現在の大手企業の創業者だけが、社会奉仕の精神にあふれて、現代の起業家は自己の利益だけを先に考えているからか? まさか。そんなことをいえた義理かよ。創業者がそこまで社会奉仕に目覚めていたなら、最初から宗教界に行くべきではなかったか。現代の起業家と同じである。

 逆にはっきりいえること。

 それは精神文化や、戦後教育のせいではない。

 リスクがでかすぎることだ。

 優れたアイデアがあったとしても、中小企業にすら貸し渋り、自分たちも統廃合される恐怖に怯える連中が、創業者たろうとする人のビジョンに共感する訳がない。

 脱サラなどしようものなら、健康保険から年金、あらゆる保証が取り上げられる。正社員でなければ、人にあらずとでもいうのだろう。全ては昨今流行の自己責任だと。

 我が国の政府は、法人格に対等に口を効こうとするような輩は断じて許さない。大企業さまに向かって、労働奉仕以外にすることがあるなどと、ふざけた口を聞くのはどこのどいつだ。絞め殺されたいのか? だ。

 法人は手厚く守る。特に銀行は玉体か、それ以上に手厚く守る。

 そうなのだ。我々は新しい商品やビジネスのモデルを求めているし、それによって社会が変化することを望んでいる。

 実はそうでもしないと、ビジネス雑誌が恐怖をあおる、国際的競争に張り合えないのだ。

 だが、誰も何もしない。

 なぁ、俺たちのために、俺たちをラクさせるために、誰か起業してくれないか。成功したら、あんたの自伝を買ってやるから。

 失敗したら? ざぁんねん。保険も、年金もなぁんもない。でも、どうか俺たちをラクさせるために、誰か地雷踏んでくれないか。

 こういっているようなものである。お前がいけよと、お互い肘でつついて、調子こいてつまずいた人間をせせら笑うのだ。

 どこでも起業する以上はそうなんじゃないの。そう思っていた。

 デンマークは違う。公共機関として起業家たちに、格安でオフィスが貸し出され、専門のアドバイザーが融資先を探す手伝いをしてくれる。

 しかも事業に失敗したら、雇用保険が下りるのだ。

 つまり起業することと、人生を賭けた丁半駒揃いましたの世界は別物であると、国が決めてしまったのだ。

 優秀な人材が海外に流出することを恐れて、国が能力を手厚く補助しているというのだ。夢みたいな話ではないか。やる気のある人を国が応援しているだって?

 まるで橋本龍太郎が眠そうに語っていた、再チャレンジできる社会じゃないか。九十年代後半の日本はそれを目指している振りをして、結局対極にいっちゃったけど。

 地球上に実は存在していたのだ。大企業ブランドに依存しない社会。少なくとも我々とは第一言語が違うが、同じようにパソコンを使って、ゲームを開発しているというのだ。

 知事がとか、政党がとか、色んな主語が飛び交っているが、それって、本当に今必要な話なんだろうか。

 うっかり、目先の選挙だけしか考えていないんじゃないか。結構な確率で、誰もが中学時代に言われたんじゃないだろうか。中間や期末の試験だけを一夜漬けしていても、最終的な学力にならないと。

 そう。だって長期的な展望にたっている大人が言うのだから、間違いないと聞かされてきた。

 ところがどうだ。

 月替わり総裁、日替わり代表なんじゃないのか。

 起業家とばくち打ちとでは、発揮する能力が異なるはずである。ああ、誰も言ってくれないから、何となく自分がまともじゃないような気がしてくる。
posted by 天狗丸 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

鳩山ブラザーズ

 実は数日前まで、民主党の鳩山由起夫は焦っていた。

 弟が総務大臣の権限で、郵政株式会社の社長の続投をはっきり拒否している。

 歴史的建造物たる郵便局は壊すし、郵便貯金を元手にして建てたホテルを二束三文で売り渡すし、障害者団体に対する優遇を悪用する連中に何ら引導を渡せなかった。そんな奴は責任者として、失格だ。そう言い張っていた。

 はっきり言って世論を味方にしていた。総務大臣自身がいうように、国民のため、正義のためであると、有権者の多くは思った。

 正直、思った。自民党の中にも、やはり気骨のある者がいるのだ。

 ところが民主党の方の鳩山は愕然としている。

 あそこまで世間の注目を集めていた、弟をあのダミ声クレー射撃元選手は、更迭したというのだ。

「勝ってまうがな」

 選挙をである。

 密室が好きで、世論がどういおうが、自分の組織がいう国家百年大計のために、平気で信念も魂も売りますよ。だって、最初から信念も魂も、持ってなかったも〜ん。by自民党 と落書きしたようなものである。

 総理の任命責任を追求されるべきでしょうなどと、殊勝な顔を作っているかもしれないが、本心は違う。ひょっとして、圧勝かも。

 どうなんだろうか。

 実は民主党にも、我々有権者の多くが期待していないのかも。いや、そもそも議会制民主主義をどこまで信用しているのだろうか。
posted by 天狗丸 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

もうかってまっか

 百年に一度の、未曾有の大不況が世界を覆い尽くし、我々の生活はもはや風前の灯火である。

 経済成長などという言葉はすでに幻想で、列島全体が蟹工船である。誰もが、明日不条理に死ぬか分からないくらいに貧窮のどん底にいたったのだ。

 もうバブルはこないのだ。イベントチケットの販売会社が発行する、遊び情報の雑誌が売れるなんて、もうないのだ。そうだ、マルサがガサ入れするような会社や資産家など、いないのだ。

 うん? 本当か?

 脱税のニュースが聞こえてきた。不動産業界と、去年高騰した銅線でボロ儲けした、金属の卸業で、相次いで脱税が発覚した。マジかよ。

 つまり隠すだけの金が、そこにはあったというのか。

 もう十二年以上、我が国は不況であるという設定なのに、何と不謹慎な。利益が余っただなんて。いや、そこじゃない。脱税だと? 羨ましい。

 隠すだけの金があっただなんて、羨ましい限りではないか。国税局はがんがん巻き上げて欲しい。いや、それが結局地方のダムになっているなら、勘弁してくれだが。

 少なくとも我々や、母子家庭など経済的にしんどい人が助けられないと意味がない。というか、国民主権だなんて、戯言だ。

 もし我々の税金で、我々より経済的に苦しんでいる同胞が救えないというのなら、我々は棄権しよう。議会制民主主義の欺瞞性にノーだ。ファシズム万歳である。共産主義だとか、自由主義だとか、眠たいイデオロギーなどクソ食らえだ。

 今回の脱税事件に、実は逆説的な福音があったのではないか。誰も儲からない。どうあがいても、所詮は不況。そんな空しさと、虚無が立ちこめていた我が国にあって、偶発的であったかどうかは別として、儲かったところがあったのだ。

 素晴らしいことじゃないか。やっぱりがっつり巻き上げてくれ!! 山分けにしようじゃないか
posted by 天狗丸 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

去年の秋葉原2009

 訳分からない事件が、一年前に起こったハズである。

 クソ田舎から出てきた若造が、秋葉原で通り魔殺人を犯した。去年のことを忘れてはいけないといいながら、我々はたちまち口を拭っている。

 ところで次の凶悪犯罪は? と。

 仕事がうまくいかず、収入も安定せず、結婚ができない自身の将来を悲観して、凶行に及んだ田舎の思い詰め、短慮者。

 せめて異性の友達がいれば何とか立ち直れたというのだ。痛々しい。恋人がいても、できることなど知れたものである。何でも解決していけると思ったら、大間違い。

 それこそ、ラブアンドピースを標榜する、ロマンチックな夢でしかない。十代で卒業しておきましょう。

 人を殺すだけの理由にならない短慮。そんなことを去年憤慨したような気がする。

 だが、我々はとっくに忘れている。もっとショッキングな事件が起こらないかなぁ、である。

 本当に根本的な解決が行われたと? 何が変わった? 秋葉原に警官の数が増えたり、注意を呼びかける(何を注意せよと呼びかければいい?)看板でも出たりしたか?

 当時の厚生労働大臣がいったはずだ。若者の失業者をこれ以上、増やさないセーフティネットを準備していくべきだと。

 なぁんだ。火星にいけたらいいね程度の、夢想をカメラの前で語ってみただけか?

 あれ? お前ら、仕事してる? そのランチ代、誰が出してると思っている?

 忘れてはならない。だが、それを毎年、原子爆弾の投下された場所で行われている、殊勝で感傷的祭りと同じレベルにしていいのだろうか。

 神戸で起こった、花火大会での歩道橋圧死事件の結果、忘れないようにするために、モニュメントが置かれた。

 問題解決の対策マニュアル制定や、歩道橋整備などが行われたという、報道はついぞきいたことがない。

 だったら、秋葉原にも置けばいいのではないか。いつもの半裸の若い女性のモニュメントを置いて、通り魔殺人を忘れませんとか、なんとか書いておくのだ。そのうち落書きだらけで、放置されるだろうけど。

 忘れないとは、時間が過ぎただけではない。事件当日の延長に我々の日常があるかどうかの、認識ではないだろうか。そう考えないと、再発防止の声など、余りに空しい。というか、白々しい。

 決して忘れてはならない。

 思い詰めた田舎者。事件当日、彼の足を引っ張り、こう言わなかった、我々の罪。

 この陰鬱で窮屈で、たまらなくウザいが、たまにはちょっといいこともあるし、明日はもっとあるかもしれない、娑婆をもうちょっと大事にしてみるという選択肢を、もう一度選んでみないかと。

 それとも、とっくに忘れることに、慣れきってしまったのか。同胞が何人死のうが、分からなくなってしまったのか。
posted by 天狗丸 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 怒りの矛先 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

コクサイテキキョウソウリョク

 意外に思ったことだが、我が国のビジネス雑誌や系列紙を見ると、国際競争力に対する備えができていないという手合いの、現状への悲観論はわりかし根強い。

 曰く、中国製の製品を製造するための安い労働力に日本製品は駆逐されるとか。

 曰く、中国ではなく、インドだとか。

 正直、まことしやかに国際競争力などと言っているが、実際は製品単価の話題だけで、ピントは百円ショップの店内にとどまっているような印象を否めない。

 色々、精査する余地があるが、少なくとも我が国は国際的競争の中で、生きていけなくなるという悲観論である。

 おいおい、十年前の渡辺淳一のおまんこ心中の後は、亡国論か。我が国の労働者や経営者はおヒマなんだろうか。

 国際的ルールに則って戦うと、我が国は負けるのだという。

 その原因は少子化だという。若者が減っているため、労働力の確保が難しいのだとか。

 そうなんかなぁ。確かに十八歳人口は減っている。当然だ。子供が減っている。

 だから国際的な競争では負けてしまうのだとか。

 ところが、だ。

 おいおい,なんか忘れてないかと。

 大量に仕事にありつけない若者がいるのだ。彼らは新卒より一年以上、年齢を重ねているだけで、経験もそうだが、能力も未知数である。

 確かに彼らを一切労働力としてカウントせず、新卒採用のみだけで後継者をまかなおうとすると、絶対数が全然足りない。我が国の滅亡カウントダウンはまた早足に進むことになる。

 しかし、待ってくれ。飛んでもない矛盾がすでに横たわっていないか。

 アメリカはもちろん、先進国なら転職は当たり前である。終身雇用こそ地球上で我が国だけが長く堅持できた文化の一つである。

 つまり国際的なビジネスの世界では、終身雇用など異例で、人材もある程度、流動的なんじゃないか。

 となると、国際競争力に拮抗しようとしているのに、古式床しい終身雇用制度を堅持する方法で、新卒だけを雇用していたのでは、到底間に合わないだろう。

 日本の伝統的新卒採用では、到底国際標準の競争に勝てない。そう歎いているのか?

 待て待て。大体、伝統って何だ? サラリーマンという雇用形態自体、大正末期から昭和初期に始まったものじゃないか。百年とたっていないのが、伝統なのか? 況んや、守るほどの伝統か? 惰性か?

 ざぁんねん。とっくにバレてました。国際競争力が育たないと嘆く連中の、貧相なアタマこそ、すでに国際的競争力が育つ素地がないのだ。

 その出来の悪い頭で新卒採用の方策をいくらひねりだそうとしても、できる訳がない。

 逆にいうなら、新卒採用に固執している会社ほど、先行き危険なのではないだろうか。

 無論、「未経験の僕でもがんばり次第で」みたいな求人広告は、大体若い労働力を食いつぶすだけの、若者への寄生虫である。

 だが、少なくとも中途採用を渋っておきながら、国際的な競争力の波乱を口にする会社は、すでに終わっている。論理が破綻しているし、その無自覚さを補うのは社員の労働力と経済力である。

 国際的な競争力をつけないとと、言っているが、実は感傷的な気分になりたいだけなのだ。安保のあとの革命好きみたいに。だって僕タン怖かったんだもん、て具合だ。

 実際は何も考えていない。政府与党が悪いとか何とか、一つ覚えに言って、鼻毛抜いているのが関の山だろう。

 自己責任。国際競争力。要は無責任な暇人の戯言じゃないか。どうしてまともに聴いてやる筋合いがある。

 そんなにおヒマな方は少ないのではないか。いかに不況で仕事が少ないとはいえ。

 本来、国際競争力を強化する改革とは、体制や考え方、価値観、方法論までを含んで、その立脚点をシフトしていくことじゃなかったのか?

 国際的なルールに引きずり回されることでもなく、下請けから買い叩いて、価格を下げる代わりに全体の体力を喪失することや、再編成(リストラ)と称して、人材とノウハウの散逸を推奨することなのだろうか?

 誰一人、まともに考えていないのじゃないのか。

 水着のグラビアアイドルが作る、胸の谷間を見る代わりに、しかつめらしい顔を作って、感傷的な危機に思いを巡らしているだけなんじゃないか。

 一口水を呑んで、頭を冷やして考えていないのか?

 ちょっと、ド演歌な日本経済終末論に飽きてこないか?
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2009年06月08日

世界のロリコンこんにちは

 英国からこんなクレームが来た。

 インターネットを介して、注文すれば女性をレイプするプロットのゲームを、未成年でも買える。そして販売しているのは日本のメーカーだと。

 何だって、日本人は性犯罪を容認するようなものを取り締まらないのだと?

 我が国は世界でも屈指のロリコン国家である。幼女を偏愛することにおいては、地球上で比類ない。

 何よりも表現の自由である。『我が闘争』も『夜と霧』を身分証明書や許可申請なしに読むことが出来る。図書館での登録さえすれば、無料で読むことすら可能なのだ。
 
 だって日本国憲法で定められている「文化的な生活」なのだ。我が国政府や地方自治体は、我々主権者をアホ扱いできないのだ。我々が予約すれば、ハイデッガーだろうが、D・H・ローレンスだろうが、最寄りの図書館に届けないといけないのだ。だって金は我々が出しているのだから。
 
 だが、最初のロリコンの話題はちょっと違う。
 
 表現の自由が果たして、反社会的な性犯罪も容認する必要があるのかだ。

 アタマの不自由なサヨっちゃんたちや、マスコミは難しい問題であるかのようにいって、その実なぁんにも考えないが、実は簡単なことだ。

 公序良俗に反すると、判断されるものは製造・流通されるべきではない。

 どの程度をもって公序良俗に反するかといえば、これも簡単。刑法に抵触するなら、アウトだ。大体、刑法に触れるようなものだが、豊かな表現で芸術性が高いと判断されるものが、そんなに沢山あるか? あったとしたら、怪盗ルパンぐらいじゃないのか?

 それより今の価値観で判断していけばいいじゃないか。

 「ロリータ」にしても、「チャタレイ婦人の恋人」にしても、当時にしてみれば、公序良俗に反するといわれ、発禁になった。今、そうでもないかで、出版された。当然、価値観が変動するのだ。それでいいじゃないか。それを手をこまねいて、何もしない方が一番問題だ。

 時代が進んで、表現がどんどん開放的になっているというが、本当かよ?

 戦前は教育勅語を読むことができたが、現代社会ではタブーである。楠木正成を忠臣として描くものは、やはりタブーである。

 単純に時代の要請が変化しているだけで、時代が進んでなんかいない。変わっただけで、過去の時代より我々の方が優れた文化をもっていると思っているとしたら、それはただの思い上がりだ。箸でもスプーンでも食べることができるようになっただけだ。

 進んだのはテクノロジーだけである。

 だからこそ、表現の自由を笠に、反社会的な内容のレイプ犯罪ゲームなど、販売が許可されるべきではないだろう。

 それで日本の表現の自由が犯され、軍国主義になるとしたら、はっきりいってやろう。そいつはレイプ犯罪ゲームなみの、幼稚な妄想じゃないかと。アタマどっかぶつけたんじゃないのか。大丈夫か、吐き気はないかと。

 結局、逆差別を引き起こしていないか。本来守られるべきだと主張する、人権や表現者たちが、我々の知らないうちに肥大化し、特権として容認されるべきだと、論点がすり替えられているような気がする。
 
 イギリス人がいつも正しいとは思えない。連中はインド人を軽蔑しておきながら、自分たちの祖先が洞穴で狼の遠吠えに怯えていた時に、水道水を飲みながら宇宙の起源について議論を重ねていたインド人にコンプレックスをもっている。

 だが、近代民主主義というフォーマットにおいては、板垣退助も研究していたぐらい先達である。彼らが近代法に基づいて異常であると指摘することに、我々はもう少し真面目に取り合っていくべきじゃないのか。
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2009年06月07日

バブルなインフル

 我が国は国民国家である。つまり我々は主権者である。だから、アタマがいい。我々の中でもアタマがよく、行政の不正を見破る能力を持ったものを代表者として選出し、我々の金で維持している、国会議事堂を使わせてやっている。

 まさか、戦時中の大本営発表を鵜呑みにしたり、一部煽動者にそそのかされて、戦端を開くようなことはしない。

 冷静で理知的で、客観的判断を好む。そして何より文化的で平和な社会が好きなのだ。

 ただしインフルエンザは別である。

 だって死人が出ているのだ。すんごい高熱だって出る。モントリオール・オリンピックのクレー射撃、元代表選手が、いつものだみ声で冷静な対応をと言われても、無理。密かにこう思っている。あんたがいうのだから、きっとまずいに違いない。

 マスクを買い占めて、駅前で売りさばくのだ。定価の五倍か十倍で。阪神大震災で大根を一万円で販売する車があったそうだが、それと同じである。

 何せインフルエンザなんだ。他人の足下もちら見どころか、ガン見して、どんどん値段をつり上げればいい。これこそピンチをチャンスにだ。他人のピンチは飯の種だ。

 同胞の健康を慮るのではない。不安に便乗して、正に暴利を得ようというのだ。我が国の精神性など、小銭を揃えてくれれば何とでも売り払うことができるのだ。

 待て待て。インフルエンザだけか? 鳥インフルエンザは? 狂牛病は? O-157は? いや、もっというなら、納豆ダイエットは? バナナ・ダイエットは?
 
 何もかも仕組まれたものじゃないのか? その犯人を探し出す前に、一人ひとりが何となくではなく、冷静に判断すべきではないか。
 
 新型インフルエンザによる、経済被害は二十兆円だと計算されている。阪神タイガースが優勝したら経済効果は七六七億円というから、今年中に二六〇回優勝してもらわないいけない計算になるというではないか。

 もっとも、どっちも推測でしかない。いや、そうなんだろうか。
 
 結局、憶測と警戒だけが被害を拡大していないだろうか。念のため、一応、危ないかも。そんな不安だけで右往左往する。

 おかげでネット宅配のレンタルDVDは大幅な黒字になっているそうだが、不謹慎と思っているのだろう。サービス元はそうした報告を公表しない。

 だが、本当に被害を被っているのは誰であろうか。他でもない、我々自身なのではないだろうか。国会議員が生活資金に困るはずがない。連中はしっかり我々から集めた税金で、お手盛りの昼飯を食べることができる。

 そんな連中が我々の生活を保証するといっても、「申告のあった範囲で」という前提を端折っている。

 実際に経済被害は出るだろうし、そのツケは結局税金でまかなったり、物価の高騰で補う羽目になるだろう。そうなった時に、定額給付金で事足りると見積もりしていたとしたら、失笑ものだ。
 
 我々の不安、我々の根拠なき動揺。それが結局、我々の首を締める。行政の対応が悪いという批判は、真っ当過ぎて呆れるほどだ。連中が的確な対応を取れるのは増税の実施の時ぐらいだ。
 
 冷静で、客観情報に基づいて行動する、理知的な国民。それこそが国民国家の主権者じゃなかったのか。マスコミが行政対応の不手際を責めるのは、お決まりだし、社会不安をあおるのはお手の物。

 しかし彼らには将来的に、経済被害が出るかまでは、到底アタマが及ばない。早く知りたいが、早く忘れたいだけなのだ。そんな連中の口車に乗せられて、何が民主主義だ。

 少なくともクレー射撃の元代表がいうように、我々の冷静な対応は必要だ。それは義務でも権利でもない。ただの自衛である。アタマを冷やして当然ではないか。
posted by 天狗丸 at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

日本のワーグナーに執行猶予

 旭日旗を連想させるような、紙名の新聞社はかつて小室哲哉氏のことを「日本のワーグナー」と評していた。

 当時はアタマ大丈夫かと、その新聞を疑った。今はどうか。本当にアタマ大丈夫か? だ。

 彼が鳴り物入りでデビューさせたという女性が、落ち目の折、ある番組でアメリカに行かせ、ボイストレーニングを受けさせた。

 すると驚いたことに、仰向けにさせられた途端、声が出ない。腹式呼吸が出来ていなかったのだ。つまりマイクの性能で金を稼いでいたのだ。

 ワーグナーがそんなにスゴい作曲家だとは思えない。しかし少なくとも、詐欺師よりはマシだ。そう思っていた。ボーカルにまともに発声練習させないで、ルックスだけでデビューさせるなんて、無謀もいいところだ。ましてや下半身のトレーニングどうこうを噂されるような相手であれば、痛い始末である。詐欺にしては、余りにも虚飾が多すぎて、虚しいと。

 当時はそんなことを思っていた。ところが本当に詐欺師だったのだ。

 執行猶予がついたが、曲といい、歌詞といい、胡散臭いことは変わりなかったのだ。

 いや、作品は置くとする。はっきり言って、昔から嫌いだったが、何も言わない。

 何よりも詐欺にひっかかった連中のことである。印税の譲渡で儲けられると思っていたのか。時代を読めよ。彼が表舞台に立っていた当時の時代背景を。泡銭にみんな踊っていたではないか。そのBGMだったのが、彼の作品だったでばないか。

 まさか、バブル再燃を期待していたのか。

 もう止めないか。もう二度と、ボディコンお立ち台の時代なんて来ないのだ。あのぶっとい眉毛がたまらないという、偏執的な性癖の人には申し訳ないが。

 虚飾と、虚栄の時代。

 儲かっていた当時から、生活水準を下げることが出来なかったと、小室氏はいう。だとしたら、相次いで破綻した銀行や会社更生法を申請したメーカーと変わらない。かつては現実を作っていたのかもしれないが、変化していく現実を受け入れることができなかったのだ。

 未だに光genjiに憧れてローラースケートに励んだり、工藤静香の鼻声を真似るようなものだ。

 忌野清志郎も死んでしまった。時代が過ぎていき、変わりつつある。廃れるべき寿命のものは廃れていき、愛されるものはこれからも愛される。それだけのことではないか。

 ましてや事大主義に、あるい文化を現象に合わせて勿体つけて語るなど、俗儒で下品な商売ではないか。
posted by 天狗丸 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする